セッション情報 特別講演2

タイトル

水俣学事始め

演者 原田正純(くまもと青明病院)
共同演者
抄録 水俣病の発見は1956年5月1日である.ある種の中毒であることが分かったがその原因物質は不明であった.原因は魚貝類だと分かったが「原因物質不明」ということで何の措置もとられなかった.そのために被害は不知火海一帯に拡大し有史以来の広範囲な環境汚染事件となった.さらにメチル水銀は胎盤を通過して胎児に重篤な傷害を与えることも明らかになった.史上初の胎児性水俣病のヒントは母親の一言にあった.私たちは「同一症状であるから同一原因」と証明しさらに患者(脳性マヒ)の発生率が異常に高いこと発生の時期と場所が水俣病と一致すること家族に水俣病が多発していること母親が妊娠中に水俣湾産の魚貝類を多食したこと母親にも軽い水俣病の症状がみられることなどから“胎盤を経由したメチル水銀中毒”と結論した.しかし人類史上初めてのことで学界も行政も慎重な姿勢を崩さなかった.ところが私の患者を含む二人が熊大武内忠男教授によって剖検され1963年11月胎盤経由の胎児性水俣病と診断された.胎児性水俣病は日本以外ではアメリカスエーデンに各1例イラクに5例が報告されている.環境汚染による有機水銀中毒事件はその後中国カナダブラジルでもおこっている.汚染源はパルプ工場付属の苛性ソーダ工場金の採掘・精錬が水銀汚染している.これらの地区では魚の水銀値は基準を超え人々の頭髪水銀値は50ppmを超えており軽症・非典型例の存在を確認している.現在は胎児期・乳児期の微量水銀汚染と自閉症アスペルガー症状群やその他の行動障害児と有機水銀汚染との関係が世界的話題となっている.このレベルの障害では神経内科というより精神医学の出番である言えよう.いずれにしても水俣病のような新しい病気社会的疾患では従来の狭い枠組みでは対応できない.さらに水俣病は人類が初めて経験した環境汚染による食物連鎖からの有機水銀中毒事件であったからその対応は医学ばかりでなく化学生物学法律政治福祉などの分野の参加が必要であった.この教訓を活かして科学技術政治経済からこころや文化の問題を含む世界に発信できる総合的学際的な学問のあり方を模索している.それを水俣病学ではなく水俣学と呼んでいる.
索引用語