セッション情報 特別講演3

タイトル

道徳主体としての認知症高齢者―胃瘻設置の判断

演者 大井玄(東京大学)
共同演者
抄録 現在推定40万人が胃痩設置されておりその大部分が認知能力の衰えた高齢者という.胃痩設置のきっかけは誤嚥性肺炎で入院治療を受けた後医師の勧めによることが多い.だが設置の意思決定は家族が行い本人がなすことはないのが現状であるそれは胃痩設置について理性的判断を行う能力が認知症高齢者には欠けているという考えに基づくものと思われる.東京都立松沢病院と医療生協すずしろ診療所とで我々が行った言語的にコミュニケーション可能な認知症高齢者50人(HDS-R:5~27点平均14点)に対する調査によれば80%は拒否的であり20%は回答不能であるものの積極的に受け入れる意思表示は皆無であった.ここにおいてインフォームド・コンセントをとった経験のある医師なら当然抱く疑問がある.それは認知能力低下とともに理性的思考能力も衰えた高齢者が胃痩設置についての合理的判断が出来るかどうかと言うことである.その疑問が生ずる背景には近世の哲学者デカルトやカントの思想の影響がある.彼らは理性と感情(情動)を峻別し「意識において操作される理性の判断」を意思決定の唯一の根拠とした.しかし彼らは間違っている認知症高齢者は胃痩設置について感情に発する「好き」か「嫌い」のカテゴリー分けあるいは判断を行ったのでありカントの義務論的理性を行使したものではない.だが道徳の根源は感情に根差すのを脳科学・認知心理学の知見は示している.認知症高齢者の意思表示が倫理的に尊重さるべきことを以下の視点から述べよう.1)合理性の進化論(Rational Darwinism).2)理性と感情とは切り離せない神経科学的事実.3)大部分の思考は無意識でなされている.4)脳は外界をその経験(閲歴)と記憶に基づいて作っている.5)われわれはメルロ・ポンティのいう暗黙知を持つ「生きられた身体(lived body)」によって知覚し世界に立ち向かい住み着いている.
索引用語